お札の歴史の部屋 お札の歴史

明治時代

慶応4年(1868)

太政官札(だじょうかんさつ)新紙幣(しんしへい)
日本全国で使えるお札が登場したのは、明治政府の「太政官札」からです。しかし、デザインや作り方が単純だったため、ニセサツがたくさん出回ってしまいました…そこで発行されたのが「新紙幣」。
印刷技術が発達していたドイツで作ってもらったから、別名「ゲルマン紙幣」とも呼ばれました。

明治4年(1871)

国立銀行紙幣(こくりつぎんこうしへい)
銀行から発行された「国立銀行紙幣」は、アメリカに作ってもらいました。これまでは、政府が発行した政府紙幣でしたが、これは、民間の銀行が発行したお札です。
その後、お札は再び日本で作られるようになりましたが、機械は外国のもの、技術者も外国から呼んで、教えてもらいながら作りました。
エドアルド・キヨッソーネ(1833〜1898)明治8年(1875)に来日したイタリア人で、お雇い外国人として日本にお札をつくるための技術を指導しました。

明治14年(1881)

改造紙幣(かいぞうしへい)
ドイツで作ってもらった新紙幣は紙質が弱かったので、和紙になる「みつまた」を原料にして、じょうぶな紙のお札をつくりました。この改造紙幣の肖像(しょうぞう)には、神功皇后(じんぐうこうごう)が採用されました。
神功皇后とは、古い物語に出てくる伝説上の人ですね。そんな人の顔をどうやって描いたのですか?
印刷局の工場ではたらいていた人がモデルになったといわれていますよ。
肖像画

明治18年(1885)

日本銀行兌換銀券(にほんぎんこうだかんぎんけん)
日本の中央銀行として設立された日本銀行から、「日本銀行兌換銀券」が発行されました。これには、紙をじょうぶにするため、こんにゃくの粉が紙に混ぜられていました。そのため、タンスにしまっておいたお札は、服といっしょにネズミや虫に食べられてしまったとか…。
今のように防虫剤(ぼうちゅうざい)が強力ではなかったようですね。大黒天が描かれていたため、「大黒札」とも呼ばれました。

明治21年(1888)

改造兌換銀券(かいぞうだかんぎんけん)
続いて発行された「改造兌換銀券」には、本格的な肖像が描かれるようになりました。百円札は大きさが、たて130㎜、よこ210㎜のジャンボサイズで、日本一大きなお札です!
形がめがねのフレームに似ていることから、「めがね札」と呼ばれました。

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