平成25年度 特別展
切手と事件と舞台裏 ~こうしてぼくらは生まれた~

日清戦争と切手

日清戦争は、明治以降初めて行われた対外戦争(清国)です。明治27(1894)年から翌28年まで続き、およそ24万人の兵力が動員され、2億円の戦費が使われました。日本が勝利し、講和条約で清国領地の一部割譲を得ました。

戦勝を記念する切手

勝利記念切手

日清戦争の勝利を記念する切手は、戦争で活躍しその後病没した有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王(左)と北白川宮(きたしらかわのみや)能久(よしひさ)親王(右)を描くことで、皇族の顕彰と追悼の意味も含んだ珍しいものでした。

またこの切手は、日本切手史上初めて肖像が描かれた切手でもあります。この肖像を精緻に再現するため、凸版が全盛であった当時、初めて彫刻凹版(お札の肖像部分にも採用されている印刷技術)が使われました。

通常、記念切手は発売期間や部数を限定するものですが、この切手は人気の余り、発行後8か月以上にわたって製造されるなど異例づくめの切手でした。

おこづかいを寄せ集める切手

切手貯金専用台紙

今に続く郵便貯金制度は、明治8年に始まりましたが、日清戦争後には、その後の戦争を見据えた軍備拡張や殖産興業のため、貯蓄奨励運動が強化されました。

明治33年、簡単な手続きで楽しみながら貯金できる方法として「切手貯金」の制度が始まりました。当時の貯金制度は10銭以上でないと預け入れできなかったため、1銭や2銭のおこづかいで買える小額切手を少しずつ貯めさせ、預け入れ可能額に達したときに貯金として扱う制度が切手貯金で、上限は1か月1円以内でした。

専用の台紙(はがきを二つ折りにしたサイズ)に切手を20枚貼って貯金通帳とともに郵便局に持参すると、その分が貯金として取り扱われました。

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関東大震災と切手

第一次世界大戦(1914-18年)に参戦した日本は、戦争特需により、明治末期以来の不況が好景気へと一転しました。しかし、戦後はその反動で恐慌が起こり、不況が続いていました。そして関東大震災の打撃によって、不況はさらに続くことになったのです。

お札よりも急がれた切手製造

震災切手と震災で焼け固まった切手

大正12(1923)年9月1日、大きな地震が関東地方南部を襲い、その後の火災で、東京は下町一帯から山の手の一部にかけて全市街の3分の2が焼失しました。

この大震災により印刷局の製造工場も壊滅してしまいました。 まず製造が急がれるべきはお札と考えられましたが、お札の原版は幸いにも焼失を免れ、日本銀行にある在庫で当面は事足りると判断されました。

一方、切手は、当時の逓信(ていしん)省の倉庫が全焼、電話設備も壊滅的な中、通信手段としての切手製造が何よりも急がれ、緊急対策として初めて民間会社で切手を製造することになりました。
このときの切手は震災切手と呼ばれ、簡易なオフセット印刷で目打ちも裏のりも省略されたものとなりました。

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第二次世界大戦と切手

関東大震災後の金融恐慌で不況にあえいだ日本経済は、昭和4(1929)年にアメリカで始まった恐慌(世界恐慌)によってまたも打撃を受けました。

その後、昭和12年の日中戦争、さらに昭和16年からアメリカ、イギリスなどの連合国と戦った太平洋戦争へと突き進んでいきました。

再びの切手貯金

明治33(1900)年に始まった「切手貯金」制度は、関東大震災で切手が不足したため、その後18年間にわたり取り扱いが停止されていました。
日中戦争の長期化の見通しから、戦費をまかなうため、昭和13年、国家総動員法が定められました。
その一環として子供のおこづかいの寄せ集めが再び企画され、あらかじめ切手が印刷された専用の台紙が発行されました。
この切手は、従来にない貯金専用の切手で、シートでは発行されなかった珍しいものです。

抽せんくじ付き弾丸切手

弾丸切手の広告

昭和17年には、戦時郵便貯金切手が発行されました。チケット様の用紙に文言が印刷されたこの様式は切手には見えず、貯金専用で郵便にも使えないものでした。

販売促進のため抽せんくじも付いており、切手の収入で弾丸(戦費)が増えること、弾丸のように速い当選金の支払い、弾丸のようによく当たるくじということから、別名「弾丸切手」と呼ばれました。

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戦後経済と切手

戦後のインフレによる物価の高騰は、郵便料金にも影響し、昭和20(1945)年から昭和26年までの間に、郵便料金は100倍にまで値上がりしました。
その後、高度経済成長期に入ると、印刷局は積極的に外国切手の製造に携わるようになり、その技術が世界にも認められるようになりました。

物資不足を物語る切手

特殊な差額貼付用切手

相次ぐ値上げによって、旧料金の切手やはがきは余ってしまいました。当時は、紙などの資材が不足していたため、当然ながらこの余剰分を活用しなければなりませんでした。そこで、昭和22年、23年に差額分の切手を新たに発行することになりました。

これらの切手は、半端な額面のみを大きく配した単純なデザインで、震災や戦争の緊急時にも、ここまでデザイン性を排した切手は日本では発行されておらず、以後も登場しないことを考えれば、特殊な存在と言えます。

高度経済成長と外国切手

最初に手掛けた国連切手

印刷局が最初に受注した外国切手は、1955年発行の台湾の記念切手です。1959年には、世界的に有名な写真週刊誌「LIFE」の切手特集号で、印刷局製の外国切手が表紙を飾り、世界の優れた切手として紹介されました。

こうした評価をきっかけに、印刷局は、世界でトップクラスの印刷会社が参加する国連切手の競争入札に参加を認められ、製造に携わるようになりました。

以後、印刷局は平成13(2001)年までの46年間、国連をはじめ世界の国と地域において1000種以上の切手を製造しました。

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展示切手リスト

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