沿革

国立印刷局は、明治4(1871)年7月27日、大蔵省紙幣司として創設されました(同年8月に紙幣寮と改称)。創設当初の業務は紙幣の発行、交換、国立銀行(民間銀行)の認可・育成等紙幣政策全般でした。
当時、国内では印刷技術が未熟であったことから、明治政府は、近代的な紙幣の製造をドイツやアメリカに依頼しました。しかし、紙幣は国内で製造すべきであるとの声が強まったため、紙幣寮において紙幣国産化の取組が行われることとなり、併せて証券類、郵便切手(明治5(1872)年1月に製造開始)の製造、活版印刷等の印刷・製紙業務を行うこととなりました。

紙幣寮は、研究を重ね、明治10(1877)年10月15日に国産第1号紙幣(国立銀行紙幣(新券)1円)の製造を開始し、名実共に我が国近代印刷・製紙のパイオニアとしての第一歩を踏み出しました。
そして、明治31(1898)年11月1日に、官報(明治16(1883)年7月2日創刊)を発行していた内閣官報局と統合し、官報も含めた事業官庁となりました。
その後、幾多の変遷を経て、平成15(2003)年4月、独立行政法人国立印刷局となり、現在に至っています。

国立印刷局は、創設以来、独自の研究・開発により築き上げてきた高度な偽造防止技術と効率的で厳格な製造体制をもって、国民経済にとって必要な製品を安定的かつ確実に提供し、社会の信頼に応えてきました。
これからも国立印刷局は、世界に誇る技術と信頼を保持し、社会への貢献を目指していきます。

西暦(年号) 月日 事項
1871年(明治4年) 7月27日 大蔵省内に紙幣司創設
1871年(明治4年) 8月10日 大蔵省紙幣司を紙幣寮と改称
1872年(明治5年) 9月20日 太政官正院印書局設立
1875年(明治8年) 4月 抄紙局設置(現王子工場)
1875年(明治8年) 9月4日 太政官正院印書局を併合
1876年(明治9年) 4月5日 抄紙局操業開始(現王子工場)
1876年(明治9年) 10月10日 印刷工場が東京大手町に落成
1877年(明治10年) 1月11日 大蔵省紙幣寮を紙幣局に改称、現業官庁となる
1877年(明治10年) 国産第1号紙幣を製造(国立銀行紙幣一円(新券)12月28日発刊)
1878年(明治11年) 12月10日 大蔵省紙幣局を印刷局と改称
1883年(明治16年) 5月10日 太政官文書局設立
1883年(明治16年) 7月1日 官報第1号を製造(7月2日発刊)
1885年(明治18年) 12月22日 太政官文書局を内閣文書局と改称
1885年(明治18年) 12月24日 内閣文書局を内閣官報局と改称
1898年(明治31年) 11月1日 大蔵省印刷局と内閣官報局が統合され、 内閣所管の印刷局となる
1909年(明治42年) 3月18日 研究所設置
1923年(大正12年) 9月1日 関東大震災により本局庁舎及び工場壊滅(12月に焼け跡に仮建設落成)
1924年(大正13年) 12月20日 官制改正により内閣印刷局となる
1931年(昭和6年) 5月16日 滝野川分室(現東京工場)落成
1941年(昭和16年) 5月24日 酒匂工場(現小田原工場)操業開始
1943年(昭和18年) 6月1日 静岡工場設置
1943年(昭和18年) 6月1日 香港工場操業開始(1945年(昭和20年)8月26日まで)
1943年(昭和18年) 11月1日 大蔵省所管の印刷局となる
1944年(昭和19年) 1月19日 西大寺工場(現岡山工場)設置
1944年(昭和19年) 10月1日 彦根工場設置
1945年(昭和20年) 2月25日 戦災により本局庁舎及び大手町工場焼失
1946年(昭和21年) 8月 本局及び大手町工場が市ヶ谷に移転(翌月、市ヶ谷工場と改称)
1947年(昭和22年) 8月30日 武生工場操業開始
1949年(昭和24年) 6月1日 大蔵省外局の印刷庁となる
1952年(昭和27年) 3月31日 武生工場閉鎖
1952年(昭和27年) 8月1日 大蔵省の付属機関の大蔵省印刷局となる
1962年(昭和37年) 12月22日 虎ノ門に本局及び工場新築落成
1963年(昭和38年) 4月16日 市ヶ谷工場を虎の門工場と改称
1984年(昭和59年) 7月1日 大蔵省の特別の機関となる
1992年(平成4年) 7月1日 研究所を小田原に移転
2001年(平成13年) 1月6日 財務省の特別の機関の財務省印刷局となる
2003年(平成15年) 4月1日 独立行政法人国立印刷局となる
2014年(平成26年) 4月1日 虎の門工場と滝野川工場を再編し、東京工場を設置

シンボルマーク(鳳凰)について

鳳凰は、中国に伝わる伝説上の生き物です。明治政府が明治5(1872)年に発行した新紙幣にその図案が採用されたことから、国立印刷局のシンボルマークになっています。

明治9(1876)年、当時の紙幣頭・得能良介は、東京の大手町に大蔵省紙幣寮の印刷工場を建設しました。屋根には高さ約2メートルの石造りの鳳凰像が据えられました。当時としては近代的なこの建物は、「朝陽閣(ちょうようかく)」と呼ばれ、文明開化のシンボルとして錦絵にも描かれました。大正12(1923)年の関東大震災で朝陽閣は倒壊してしまいましたが、鳳凰像は今も国立印刷局東京工場に保存されています。

  • 東京名所常盤橋内紙幣寮新建之図のイメージ
    錦絵 東京名所常盤橋内紙幣寮新建之図
  • 東京工場にある鳳凰石像のイメージ
    東京工場にある鳳凰石像
  • 国立印刷局のシンボルマークの鳳凰のイメージ
    国立印刷局のシンボルマーク

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