見どころ解説

特別展示の見どころについて紹介しています。

明治150年関連施策特別展(平成29年度 第2回特別展)
日本近代紙幣の礎となった男たち
-明治150年 印刷局はじまりの物語-

1. 日本近代紙幣の夜明け前

赤穂藩札の版木
(左)表面用・(右)裏面用

 日本の紙幣が近代化を遂げるのは明治時代を迎えてからのことです。明治7(1874)年に紙幣の製造を担当する現業官庁となった印刷局(当時は紙幣寮)は、西洋式の設備や技術を導入し、明治10年に西洋式紙幣の完全国産化に成功しました。

 それまでの日本紙幣の製造技術は、江戸時代以来の版画技術を用いたものでした。ここでは、近代的な紙幣とは大きく異なる印刷用の版(版木)とあわせて幕末から明治早期の紙幣に用いられた原版彫刻技術をご紹介します。

このページの先頭へ

2. 印刷局誕生

三代広重画
『東京名所常盤橋内紙幣寮新建之図』


血盟書部分(複製)

キヨッソーネが手掛けた訴訟印紙

 印刷局が日本の紙幣製造業務を担い、近代的な紙幣の国産化を実現した背景には、当時の長官であった得能良介(とくのうりょうすけ)とイタリア人技師キヨッソーネの功績があります。このコーナーでは、この二人の業績についてご紹介します。

 得能は、一国の紙幣は自国で製造すべきであるとの強い信念のもと近代紙幣製造の国産化を果たすために、設備や技術の整備に向け強力なリーダーシップを発揮しました。得能の尽力により建設された近代的な証券製造工場は、その威容から多くの錦絵にも描かれるほどでした。また、得能は、この工場が完成したときに一丸となって業務に当たるとの決意を記した血盟書を製造各部門の長と交わしています。ここに得能の印刷局の仕事に対する気概を見ることができます。

 キヨッソーネは、近代紙幣の製造技術の指南役として来日した人物です。後進を育てるかたわら、自身も製品の原版彫刻に精力的に携わり、明治初期の印刷局製品の大半を手掛けました。その芸術性あふれる精緻な図柄が描かれた製品を前時代の技術(「日本近代紙幣の夜明け前」コーナーで展示)による製品と見比べてみるとその精度に大きく差があることが見てとれます。

キヨッソーネが手掛けた人物肖像が描かれた紙幣

このページの先頭へ

3. 官営よろず屋

印刷局が発行した食用魚の図譜
「なみまの錦」


旧箱根離宮に使用された壁紙


 印刷局が証券印刷事業を開始してからの大きな課題は工場経営についてでした。当時の工場は閑散期があり、常時工場を稼働させるための策が必要でした。得能は、製造技術を用いて本業製品以外の様々な種類の製品を製造して利益を上げることとし、多色石版印刷による各種図譜や壁紙など各種紙製品の製造・販売、そして写真館の開業など精力的に行いました。特に紙製品については海外輸出品となるほどの好評を得ました。当時の印刷局の業態から「よろず屋」と世間で呼ばれることもありました。

 印刷局の業務報告書である『印刷局工場報告』には、当時販売した製造品が記録されており、ボタンや香水など想像も及ばないような製品名を見つけることができます。

このページの先頭へ

4. 印刷局と明治時代

『国華余芳』に収められた
当時の正倉院御物の姿


明治12年の調査の際に撮影された
奈良薬師寺


 創業期にあたる明治初期から中期にかけて、印刷局は日本の証券印刷の現業官庁として技術力をつけるとともに経営を軌道に乗せるべく様々な事業にチャレンジしました。

 この時期に業務の参考のために得能が企画したのは、日本古来の文化財や寺社などの調査でした。得能は、この調査の記録を後に『国華余芳(こっかよほう)』と題する写真帖や図譜に仕立てて広く販売します。

 これには、時代を経て伝わってきた文化財や史跡・名勝などを広く一般に見せる機会を提供することで、愛国心を育てるという目的がありましたが、文化的啓蒙活動の一環としても捉えることができます。

 ここでは、『国華余芳』に収められた数々の写真や石版画を見ていただきます。今や失われてしまった明治の姿をご覧ください。

このページの先頭へ